創業1923年(大正12年)、注文靴の専門店として横浜元町に開業。顧客には作家の志賀直哉、作曲家の滝廉太郎、画家の前田青邨などがいた。ミハマの名前の由来は創設者、森三郎の名前から“ミ”、横浜の“ハマ”からとられている。
当時、職人らは旧財閥系の名家や皇室に納めるほどの技術を持っていたものの、手作りにこだわっていたミハマは戦後の機械化に伴い、大量生産の波に乗った。その後二代目が引き継ぐと『よそにない靴づくりをする』、この思いを具現化しようと一念発起“ミハマオリジナルシューズ”の製作に力を注いだ。靴作りのベースとなる木型を重点に、流行にとらわれないデザイン、自由な発想の靴作りを目指し、当時大流行していた「先の尖ったヒールの細い靴」を真似するのではなく、履きやすく機能的な靴をショーウインドーに並べたところ、爆発的な大ヒット。それは“つま先が丸く”、“ヒールの低い靴”だった。
1970年代、ハマトラ(横浜トラディショナル)のブームを機に、女性向けファッション雑誌が多数“ミハマ”を取り上げ全国へ広まった。ハマトラブームで爆発的に売れたのは、つま先の飾りリボンを踵につけるというアイデアから生まれた靴や、横から見ると平らでヒールがぺったんこの“カッターボート”を模したカッターシューズ。その靴は今もなお、ミハマの顔として根強い人気を誇っている。
ハマトラブームより相次ぐ出店要請から直営店を展開、全国のデパートでミハマの靴を目にすることができるようになった。現在は神奈川をはじめ東京、千葉、埼玉に11店舗。大阪、福岡に3店舗の計14店舗。また、直営店を展開していない地域においてもミハマ販売会を開催している。新潟、富山、長野、栃木、京都といった様々な場所でも期間中であればミハマの靴を購入することができる。
ミハマの靴は創業以来、流行にとらわれない“履きやすく、健康的、ノーブル(高貴)”を主張してきました。そして我々は『対面販売』という店頭で直接お客様に向い合って商品を販売することを重んじ、ただ“売る”のではなく、お客様のニーズに合わせてよりよい商品を提案し、リピーターとして永くお付き合いができることを目的としております。特にミハマでは『顧客満足』にこだわり、十人十色の足に150数種類もの木型の中からお客様の足に合った靴をお選びいたします。その際には時間の経過と共に変化する足、素材の性質、お客様の感覚などを考慮しお客様の立場にたったフィッティングを心がけております。このようにあくまでもミハマらしさにこだわった靴と販売スタイルは、創設者からの想いを90年以上引き継いだもので、親子三代にわたり永く愛され続ける靴屋へと成長してきました。これからも皆様に永く愛され続ける靴作りを目指してまいります。